北広島教会の歴史
北広島教会は、北海道では函館元町、 札幌北一条、小樽富岡、室蘭に次いで
五番目に創設されたカトリック教会です。
1884年(明治17年)、広島県人25戸 103人が移住し、「北広島」の開拓の歴史が始まりました。
その頃、パリ外国宣教会の宣教師で植物学者でもあったフォーリー神父が緑豊かなこの地をしばしば訪れ、1890年(明治23年) 北広島の初穗として2家族9人に洗礼を授けました。
1896年(明治29年) 現在の中央3丁目の「はるやま」駐車場付近に粗末な仮聖堂が建てられました。
これが北広島教会のはじまりです。
1903年(明治36年)、ベルリオーズ司教は現在の教会周辺に広大な土地を購入しました。
1913年(大正2年)に現在の教会の場所に信徒の手によって小聖堂が建てられ、司祭定住教会となりました。初代司祭にフランシスコ会フルダ管区(ドイツ)のヒラリオ・シュメルツ(日本名・平世修明)師が着任しました。
その後、1927年(昭和2年)には、「マリアの宣教者・フランシスコ会」が修道会を開設し、以後、天使病院の分院の診療所、養護施設、女子中学校、幼稚園などが開設され、 教会を中心としたカトリック・コミュニティが形成されました。
1973年(昭和48年)、聖堂が老朽化したことから新築されましたが、その際多くの労働奉仕がありましたが、1996年(平成8年)11月24日には、地主敏夫司教を迎え、教会開設100周年記念式典が行 われました。その後、北広島市が発展する中で信徒数も徐々に增加し、聖堂が手狭で、老朽化も進み、また以前から信徒ホールを併設することの強い願いもあり、2011年(平成23年)11月末に現教会が完成し、同12月3日フランシスコ・ザビエルの祝日に菊地司教を迎え盛大な落成式が行われました。
カトリック教会では、ある職業、場所、国などが、その聖人の取り次ぎによってとくに保護されると認められるとき、
その聖人を守護聖人といいます。
当教守の守護聖人は、日本にキリスト教を初めて伝えた聖フランシスコ・ザビエル(1507年生~1552年帰天)です。
ザビエルはスペイン・バスク地方のナバーラ王国の名門の出身で、イグナチオ・ロヨラらとともに, イエズス会を創設しました。そしてインドのゴアを中心にインド沿岸、マラッカおよびモルッカ諸島をめぐり気候、言語、習憤などの困難を克服しながら布教に従事します。
マラッカで日本人亡命者アンジロウらと出合い、日本での布教を決意し、1549年8月 15日、彼らを伴って鹿児島に上陸しました。
日本では統治者のいない戦国時代でしたので、大変な苦労を重ねながらも信仰の種を確実に播いていきます。
ザビエルは1551年に日本を去り、日本に多大の影響を与えている中国の布教を目指して巾国本土に向かいましたが、
途中、広東湾の上川島で熱病にかかり、「東洋の使徒」と呼ばれるにふさわしい生涯を終えます。
ザビエルによって開始された日本の布教は、その後続々と渡来した宣教師に継承されて、後年のキリシタン隆盛時代を現出し、西洋文化の伝来など日本文化史に新時期を画するものになりました。
現在、日本には聖フランシスコ・ザビエ守護聖人と仰ぐ33の教会があります。
聖フランシスコ・ザビエルへの祈り
(十二月三日)
聖フランシスコ・ザビエル、
あなたは布教の熱意に燃えて、
初めて日本にキリストを告げ知らせました。
わたしたちはあなたの血のにじむような
努力と労苦を思い、心から感謝します。
わたしたちが勇気をもって十字架を担(にな)い、
キリストの国をいっそう広めることができるように
助けてください。
人々がキリストの教えを尊び、永遠の命を
受けることができるように神に取り次いでください。 アーメン
※ 12月3日はフランシスコ・ザビエルの祝日です